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取手市立小文間小学校旧校舎新HP
長倉先生の学校ではこの学校が一番好き。船越徹
(「オーラルヒストリーで読む戦後学校建築ーいかにして学校は計画されてきたかー」日本建築学会編 2017年 58pより抜粋)


2025/10/25小文間小学校跡地利活用地域報告会結果
挑発に乗った俺の負け? 予想通り、旧校舎は解体でした。 集まった皆さんの雰囲気もそれで納得のようでした。新しい施設が地域に誕生する喜びは分かりますし、耐震化工事に掛かる費用や私に旧校舎活用についての具体的なアイディアも先日やっと思いついたアマチュア秀作美術館の他は思いつかなかったので、仕方が無いかなあ、と言う気持ちでした。 マルヒでの個展中に都内の校舎の解体を止めて再活用した建築家が来ましたが、『自分の命をかけなけりゃダメだよ。学者あてにしてちゃだめだ。学者は自分の研究が大事なんだよ』って言っていましたが、私も作家で自分の作品が大事で他人様の作品に命かける気にはなれません。当HP制作が関の山です。このHPに関してだけはかなりの情熱を込めましたが(私は他人と関わるのが苦手です)結果的には地域住民の方や行政に小文間小学校旧校舎の面白さを充分伝えることは出来ませんでした。また実務能力の高い協力者を得ることもかないませんでした。 で、昨日は、解体に対する理解は示しつつ、耐震診断をした羽石英夫建築設計事務所と役所の関係の不透明性、IS値0.22と言う数字
wakuran
10月26日読了時間: 5分


小文間小学校跡地の利活用に関する市民説明会前日その3
25/10/19 小文間小学校の今後にむけて 川島智生 学校建築史の研究者として危惧することは、明治から戦前期にかけての校舎が保存されるに対して、戦後1970年頃までに建設された校舎が次々と取り壊されていっている点です。戦後つくられていった吉武氏や長倉氏らの実験的な校舎の多くはもはやなく、そのなかで現存する小文間小学校はその時代の息吹を後世に伝えるに、もっともふさわしい建築といえます。しかもこの小文間地区は近世期の農村景観が残る歴史的な地域です。どこにでもありそうな場所ですが、そこに61年前にできた、けっして古くならない現代建築の校舎が存在することはとても意味があります。すなわち、高度経済成長期の日本のありようが残っているからです。古い集落のなかに画期的な校舎が立ち続けている。かってはほかにもこの構図はあったとおもいますが、現在ではきわめて希有なものです。 提案としては建物をそのまま用いて小博物館や小美術館などの文化施設がふさわしいと思います。 川島智生 建築史家、学術博士 1957年生まれ、京都工芸繊維大学博士課程修了。専門は日本近代建築史、小
wakuran
10月24日読了時間: 2分


小文間小学校跡地の利活用に関する市民説明会前日前日にその2
小文間小学校旧校舎の再利用が可能だとしたら (Facebook10月14日に投稿した記事を再録です。) 25日に旧小文間小学校跡地再利用についての住民説明会があります。 ボーッとしていたら来ました。長倉康彦設計の旧校舎は解体という話でしょう。 もし遺すとして、どう利用したら良いかなかなか思いつかなかったのですが、最近思いついたアイディアが自分的には一番ピタッときたのでダメ元で急遽市長にメッセージを送りました。 以下コピペします。ごく一部ですが編集いたしました。括弧内。 ほぼ同内容を文化芸術課にも送付いたしました。 9:33 送信済み 中村修市長 取手市におかれましては、文化芸術に多大なご支援を賜り、一アーティストとして大変有り難く存じております。 早速ですが、実は、近日になってあることを思いつきました。 駅ビルに立ち寄るたびに、とりでアートギャラリーによります。 そうしますと、多くの日にアマチュアの方のサークルの展示会を開催しております。 私は、一アーティストとして、その水準の高さにいつも驚かされます。 制作を生活の中心に置いている、団体展の作家
wakuran
10月24日読了時間: 3分


小文間小学校跡地の利活用に関する市民説明会前日前日に=旧校舎耐震診断IS値0.22の信頼性についてなど==
私が愛してやまない旧校舎は解体でしょう。 少しだけ、気持ちを説明会で話そうと原稿書いてみました。 今日は、鈴木厚と申す小文間在住の美術家です。小文間小学校旧校舎についてのHPを運営致しております。 発端は長女が2005年に小文間小に入学して父兄として足を運ぶうちに小文間小旧校舎が一般の校舎とは全く違うだけで無く美術品として面白いなと思ったのがきっかけです。 私は流山育ちで25歳の時にこちらに実家が移った新住民ですが、偶々小文間育ちの美大の同窓生がいたもので「小文間小学校の旧校舎って面白いけど誰が作ったの?」と聞いてみたところ「霞が関ビルを設計した人だってよ」そこから旧井野村桑原出身の武藤清と言う東大の構造計算の先生、その弟子スジの長倉康彦設計という事実にたどり着いたのでした。そこでHPを立ち上げると、近代日本の学校建築校史研究の第一人者川島智生先生と繋がり、雑誌や本に論文を書いてくれ、日本建築学会主催の見学会なども開かれるようになったわけです。つまり、戦後学校建築の中で著名な作品だからと言うわけでなくて、ただの美術家1人としての思いから広がった
wakuran
10月24日読了時間: 4分


小文間小学校最後の校歌と謝辞
平成27年(2015年)3月取手市立小文間小学校は創立142年で閉校 になりました。 開校は明治6年(1873年)です。 次女が小文間小学校を卒業する年でした。 小文間小学校最後の卒業式校歌斉唱と謝辞です。 校歌のピアノ伴奏は次女、謝辞はあみだくじで6年生の学年委員になって...
wakuran
2024年7月23日読了時間: 1分


日本建築学会教育施設小委員会主催取手市内長倉康彦設計小学校2校見学会
2024/07/09(火)日本建築学会教育施設小委員会主催の取手市内長倉康彦設計小学校2校の見学会があった。総勢10人ほど。多くが工専や大学の先生。 小文間小旧校舎はPTA役員の会合等でよく行ったので懐かしかったが、廃墟化がかなり進んで悲しかった。学校の建築計画の方に聞くと...
wakuran
2024年7月13日読了時間: 2分


小文間小学校旧校舎がモデルのイラスト
なぜか小文間について研究していて小文間関係アーティストの展覧会の企画などもしている芸大取手校地先端芸術科グローバルアートプラクティス専攻修士課程>国際芸術創造研究科大学院助手の若者=Naoto John Tanaka君という方から頂戴した情報。...
wakuran
2024年7月5日読了時間: 1分


川島先生の本が出ました。
近代学校建築史の第一人者=川島智生先生(神戸情報大学院大学客員教授)の「戦後モダニズムの学校建築」鹿島出版会が3月に出版され、取手図書館に入りました。 我が旧小文間小学校旧校舎についても一章がさかれています。2019年「茨城県取手市に残る1950年代から60年代の小学校の一...
wakuran
2024年7月5日読了時間: 1分


取手市民会館の思い出
2018年5月22日のFacebook投稿を編集して転載 昨日に引き続き、取手市内長倉研究室作品。 今回は取手市民センター(=取手市民会館)、竣工は文化事業団に問い合わせたところ1972年です。 個人的思い出ですが、竣工間もない1978年ごろ浴衣姿のかわいい娘さん と市民会館作り付け駐車場上のテラスから利根川取手花火大会を鑑賞したのが高校時代です。彼女は取手市民でしたが、川向こう千葉の高校同級生でした。 私は1959年千葉県流山市に生まれ 育ちました。 大学時代、大学卒業後数年は多摩地区に一人暮らしでしたが、私が25歳の1984年頃に木彫家だった亡父がアトリエごと取手市小文間に移住して、同時に私は父の下彫りにはいり両親と同居しました。 1990年前後の20代後半~30代前半には同じ敷地の福祉会館(こちらも長倉研究室設計)に、市民向け彫刻教室の講師をしていた関係でしょっちゅう行っており、件の駐車場の隅を生徒さんの貯木場にしていました。 その後、1996年37の歳に結婚して柏の借家に移りましたが、2002年の父の死後、40代前半で小文間の亡父の建てた
wakuran
2024年7月5日読了時間: 2分
小文間小学校旧校舎ブログ開設
ブログを開設しました。戦後学校建築の傑作=小文間小旧校舎について何かありましたらば投稿します。
wakuran
2018年6月14日読了時間: 1分
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