
取手市立小文間小学校旧校舎新HP
長倉先生の学校ではこの学校が一番好き。船越徹
(「オーラルヒストリーで読む戦後学校建築ーいかにして学校は計画されてきたかー」日本建築学会編 2017年 58pより抜粋)
人物紹介 長倉 康彦(ながくらやすひこ)
略歴=取手との関わりを中心に=
1929年(昭和4年) 東京生まれ
1953年(昭和28年) 東京大学工学部建築学科卒業 吉武泰水に師事。その後大学院修了、工学博士
1955年(昭和30年) 東京都目黒区立八雲小学校(=旧宮前小学校 基本設計:八雲小学校設計グループ 実施設計:同上)の設計に参加。バッテリー型プランの鉄骨造モデルスクール。明治時代に定型化した片側廊下教室並列型のプランを脱し様々な斬新な工夫のある戦後学校建築史において画期的な作品。
1957年(昭和32年) 東京都立大学助手(現在の首都大学東京)
1959年(昭和34年) 茨城県取手町立取手小学校計画開始 取手での最初の作品
1960年(昭和35年) 東京都立大学助教
1964年(昭和39年) 茨城県取手町立小文間小学校(基本設計:東京都立大学長倉研究室 実施設計:同上)
1969年(昭和44年 茨城県取手町立井野小学校(基本設計:東京都立大学長倉研究室 実施設計:同上)
1970年(昭和45年) 取手福祉センター(現取手福祉会館、中央公民館)
1972年(昭和47年) 東京都立大学教授 のちに名誉教授
1972年(昭和47年) 日本建築学会賞
1972年(昭和47年) 取手市民センター(現取手市民会館)
1973年(昭和48年) NHKブックス「開かれた学校」出版。長倉の代表的著作で建築業界だけでなく教育界などに幅広い影響を与えたらしい。素人にも分かりやすくて生き生きした面白い文章。
1974年(昭和49年) 茨城県取手市立永山中学校計画開始 取手での最後の作品
1978年(昭和53年) 富山県福光町立福光中部小学校(基本設計:都立大長倉研究室+福見建築設計事務所 実施設計:福見建築設計事務所)日本で初めての公立オープンプラン小学校
1979年(昭和54年) 日本建築協会賞BSC賞
1985年(昭和60年) 東京都目黒区立宮前小学校(基本設計:日本建築学会学校建築委員会 実施設計:ARCOM)長倉の代名詞と言うべきオープンプランスクール哲学が開花した代表作。
〜特にことわりのない作品の年代は竣工年〜
現在は首都大学東京名誉教授
時期は知り得なかったが共立女子大学総合研究所教授、日本建築学会学校建築委員会委員長なども務めている。
*以下を参考にした。
・日外アソシエーツ編集「新訂現代日本人名録98」日外アソシエーツ 1998年1月刊
・ 諸貫幹夫「人物紹介・長倉康彦」日本建築学会編「オーラルヒストリで読む戦後学校建築」2017年刊 p54
・長倉康彦著 「学校建築の変革」 彰国社 1993年刊