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設計/建築:東京都立大長倉康彦研究室

協働:原 担・比嘉規雄・柳沢壮一・戸口靖夫

構造:山本正勝

設備:信設備設計事務所

 

​計画クラス数/6クラス

敷地面積/7,500㎡

延床面積/1072㎡(屋体なし)

施工/戸田建設株式会社

構造/鉄筋コンクリート造

工期/1963.3~1964.3​ 竣工/1964

総工事費/2642万円 坪65000円
 

​場所/茨城県取手町(現取手市)

​竣工当時の名称/取手町立小文間小学校新校舎

平面図・写真de旧校舎

〜小文間(おもんま)小学校旧校舎について〜

取手市立小文間小学校(とりでしりつおもんましょうがっこう)は2015年(平成27年)に140年余りの歴史を終え、閉校になった。

2018年6月現在、校舎大小3棟、体育館、プール、給食室、独立図書館(元)校庭からなる校地は閉校時のままの状態であるが跡地の再利用の検討は始まっており2018年2月には初めての地元小文間住民への説明会が行われた。
基本的には校地は(1)売却、貸与の方向ではなく、市所有のまま再利用する(2)体育館(耐震工事予定)、2階建鉄筋コンクリート造小校舎(耐震基準を満たす)は再利用し他の校舎は解体が基本路線のようである。
しかし、1964年(昭和39年)竣工、東京都立大学(当時)長倉康彦(ながくらやすひこ)研究室設計の旧校舎のみは解体するか耐震補強工事をした上で再活用するかは両案が提示されており、これからの検討に委ねられている。

そこで、子供二人が小文間小を卒業し、かねてより「旧校舎は面白くて和むいい建物だなあ」と感心している筆者は素人がなら多少の調査をし続けているのでこのHPを立ち上げた。 取手市の「小文間小学校跡地に関する利活用計画(検討案)」はこちら >>>

なお、リンクの案は説明会時の案と若干の相違がある。​3階建新校舎の一部も残す。

 

まず特色を大雑把に言えば より具体的にはこちらをご覧ください>>平面図・写真de旧校舎探検

 

a)明治に木造校舎で定形化し戦後の鉄筋コンクリート造校舎でもほぼ踏襲された形の一般的校舎(並列的教室配置、北側廊下、校舎端部の特別教室等々)が大多数だった時代に迷路状のプランを持つ自由な設計である。


b)各学年の教室の学習環境を第一に具体的かつ丁寧に考えている。

・学年1クラスの各教室に洋服掛けや流しなどがあるワークスペースが用意されでいる等、学年教室で学習と生活がなるべく完結できるように配慮されている。 

・広さや什器の大きさを調整するなど各学齢に合わせた設計がされている。
・​採光、通風、騒音防止、などに大きな注意がはらわれている。

c)児童一人一人に親切な設計である反面、細かく各部の用途が決められている傾向があり、生徒数が増減すること、児童の状態、学習形態の変化などはあまり想定せず、融通性はあまりない。 

 

d外観のデザインは多少大味だが、小さなスケール感でメルヘンを思わせ魅力的。表現者の初期に現れる天からのプレゼントのような巧まざる魅力。

e)竣工時長倉康彦(1929〜)は35歳、初期の代表作であり、自著を含め多くの書籍に掲載されている。確認できた長倉現存物件では最も古い。長倉の代名詞でもあるオープンスクールになる10年ほど前の時期。

etc

f)小規模校としてのまとまり感を重視している。

 

竣工当時の評判は

竣工2ヶ月ほどのち『取手新聞』6月21号は

『新校舎は日本一風変わりな学校建築として評判になっている』

『校舎というものは2階建にしろ平家建にしろ幾つかの教室が一列に行儀よく並んでいるのが普通であるが小文間小学校は各学年用の六っつの普通教室と音楽教室がバラバラに独立して建てられている。』

『従って外から見ると全く何の建物かわからない』

『日本には絶対に類例のない独創的なアイディアである』
『永倉(長倉の誤)教授が学校建築としての理想を実現したものだけあってただ感じ入るだけである』との声を載せている。
この校舎の評判は、県内外のあちこちに伝わり、多くの参観者が来ることになったが、完成後まもない4月18日には東大建築学部の大学院生が参観し、「小学校としては理想以上で、むしろぜいたくである」と批評したらしい(注1)

 

 

長倉康彦と取手 長倉氏のプロフィールはこちらで>>

元町職員だった方Aさんにヒアリングしたところでは、長倉氏は取手町(当時)青柳出身の建築家でのちに霞が関ビル建設の指揮・構造設計で著名になる武藤清氏の紹介により取手と縁ができたとのこと。

教育の最重視を標榜していた当時の中村金左衛門町長が町立小中学校に鉄筋コンクリート造校舎の導入を目論んだが、近辺にその能力を持つ業者がいなかったという事情で武藤氏に相談したらしい。
​どうやら長倉康彦の設計思想に共鳴して依頼したということではなかったようである。

小文間で「小文間小の設計者=霞が関ビルを設計した人」というような話を耳にしたことがあるが、この辺りの事情によると思われる。当時は長倉康彦よりも武藤清が前面に立ち、取手町内の長倉研究室設計の建物は武藤氏の設計と思われている向きもあったとか。
取手で最初に手がけた取手小校舎計画着手時、長倉氏は東京都立大(当時)助手30歳、戦後学校建築史では避けて通れない八雲小学校の設計(1955年竣工)に参加した直後の時期である。
Aさんによれば「とても若く見えた」「男前だった」とのこと。

なお、茨城県下では一番はやい鉄筋コンクリート校舎の導入であったという。

戦時中は旧井野村(1947年に取手町と町村合併)の村長で公職追放(注2)の憂き目にもあった当時の取手町長中村金左衛門には「目立ちたがり」「目立つ」の面もあったらしい。ユニークな校舎建築も町長の性格にフィットしたのかもしれない。
あるいは、中村町長は戦争で子供二人を亡くしているが、そんなことも関係しているのかもしれない。

以下取手の​長倉研究室設計の建築を列挙する。

取手小(1959)
小文間小(1963、1964竣工) 
寺原小(1964)
永山保育園(1964)
井野小(1967、竣工1969) 

取手一中(1967、竣工1969)
取手福祉センター(当時、現取手福祉会館、中央公民館、1969、竣工1970
取手二中(1970)
小文間小図書館(1971)

白山小(1971)
取手市民センター(当時、現取手市民会館1971、竣工1972)
永山中(1974)
(特にことわりのない年代は計画着手の年)

太字は現存

(ただし、井野小は解体が決定済、小文間小は未定、他は耐震工事済、市民センターのみ耐震工事予定)
 

と12件もある。
これだけ集中した市町村は取手町が最初で、長倉氏自身も「茨城県取手市、岩手県釜石市、群馬県にもご厄介になった。」と述べている(注3)まさに、戦後学校建築の第一人者・長倉康彦は取手で育ったといってよい面もありそうである。

 1974年計画着手の永山中を最後に長倉氏の設計は無くなるが、その理由はAさんによれば、地元の業者にも鉄筋コンクリート造りの校舎を造成する力がついてきたからとのことであった。(=税収?or=選挙対策?)
その頃より急展開した長倉氏の設計思想(オープン化といって多目的スペースを多用する)が合わなくなった、これまでの町内の設計校舎が使いづらく苦情が多くなった、取手市長海老原一雄氏が中村金左衛門町政の流れを一掃したかった、児童数激増で校舎を急造しなくてはいけなかった、などの理由も想像したのだが、Aさんの話にそういったニュアンスはなかった。

文責;鈴木 厚 (銀窯)ihttps://www.ginyou.net

協力;坂 幸子 (アトリエ學林)http://www.gakurin-a.jp

ご意見、間違いのご指摘 小文間小旧校舎についての情報などお持ちの方は下のメールフォームよりご一報くださいい。

(注1)小文間小百二十年の歩み 小文間小学校創立120周年記念事業実行委員会記念誌委員会編集 平成4年 P151

取手新聞(1964)昭和39年6月21日号からの引用。

(注2)戦犯だったと言う情報もあるが今のところ確認できない。BC級戦犯の氏名は伏せられているようだ。公職追放は「=わだち=名誉市民中村金左衛門先生胸像建立記念誌 名誉市民中村金左衛門先生胸像建立発起人会 1974年8月 発行 p16」で確認できた。

(注3)「学校建築の変革~開かれた学校の設計・計画」長倉康彦著1993年 彰国社 P5

小文間小学校旧校舎掲載文献

・雑誌「建築文化」1964/6号   p107〜p113 
・建築設計講座 学校建築 長倉康彦著 理工図書株式会社 1969年 P212、P214、P215

・「開かれた学校〜そのシステムと建物の変革」NHKブックス 長倉康彦 日本放送出版協会 1973年 

・建築学大系32 学校体育施設 1975年 彰国社 P297

・小文間小百二十年の歩み 小文間小学校創立120周年記念事業実行委員会記念誌委員会編集 1992年 P148〜P151

・「学校建築の変革~開かれた学校の設計・計画」長倉康彦著1993年 彰国社 P42、P43
・建築設計資料集成(教育図書)日本建築学会編 丸善株式会社 2015年 P008 ​

・「オーラルヒストリーで読む戦後学校建築」第2章 船越徹「建築計画研究から生まれた設計」日本建築学会編 学事出版 2017年 P58

・「茨城県取手市に残る1950年代から60年代の小学校の一群1ー長倉康彦設計の先進的な校舎・小文間小学校ー」川島智生 季刊文教施設752019年夏号 p12〜13 p70〜77 発行:一般社団法人文教施設協会 2019年
 

小文間小学校旧校舎について
長倉康彦と取手
竣工当時の評判

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